私と〇〇

書きたいことができたから書く

私と祖父

月初から仕事のトラブル大忙しであった

丸々1ヶ月毎日営業からワーワー言われ

クライアントからもまだ詳細はわかっていないと伝えているが

そちらが悪いの一点張りで話を聞いてくれず、なんとか説明を終えた

 

対応を終えた先週の土曜日、母から遠方に住む祖父の容態について話があった

もうそろそろ...そのような内容で祖母の電話越しに最後の言葉を交わす

電話から聞こえてくるのは人工呼吸器の音だけ、言葉を発するそんな力はなかった

 

翌朝早く、祖父が亡くなりご時世のため母だけ帰省した

 

仕事の疲れと祖父が亡くなった喪失感から先週は心身のバランスを大きく崩した

 

何もやる気が起きない

空元気

今までやっていたことを何もしたくない

ジャンクフードばかり食べたくなりただ気が済むまで貪り食う

夜になったらすぐに電気を消し眠くもないのに天井を見つめる

夜中に目が何度も覚める

 

そんな1週間を過ごした

先日まで会いたい人に会うWeekと題して色々な方にお会いしていたので

1/29現在、なんとか持ち返すことができた

お会いした方々にはこの場を借りてお礼申し上げます

 

私には小さい頃の思い出があまり記憶にない

祖父と祖母にあった時にどんな話をしたか、何をしたのかをあまり覚えていない

中学生まではお盆と年末年始に父の運転で12時間以上かけて会いに行っていたのは覚えている

会うたびによく来たねと笑顔で出迎えてくれた

何か欲しいものはないか?お母さんには内緒だぞ?と言ってお金をくれたり

散歩によく連れて行ってくれたり、なんとなくそんなことは覚えている

 

大学卒業間近の際は1人で会いに行った

ただうどんが食べたいと車で色々なうどん屋を案内してくれた

でもどんな話をしたらいいのかわからず、聞かれることに

 

ああ、うん、そうだね、とだけ返していた

 

馬鹿、ちゃんと話せよ

最近どんなことがあったとか、大学でどんなことしたのかとか

そんな話もあまりできなかった

 

最後に会ったのは2019年のお盆の時期

甥っ子も来ていたので何かすごく盛り上がって

祖父と一緒に酒を飲んだり、なんかその時は色々な話をしたのは覚えている

 

また来てや

 

また行くよ

 

多分祖父と最後に交わした会話はこれだと思う

 

 

 

 

 

その数ヶ月後には体調を崩して入院していると母から

そこまで長く入院はしないと

 

退院後に祖父は認知症になった

1ヶ月ほどでレベル3と診断された

 

介護の手伝いに母が3ヶ月ほど行っていた

時々電話から聞こえてくるのは聞いたこともない祖父の罵声

 

それだけでもショックだった

 

別日に落ち着いているからと祖父と話した時には

 

ん?誰だお前は!

 

わしの孫は(兄の名前)しかいない!お前なんか知らん!

 

言葉が出なかったけど、祖父と話す時はいつも兄の名前で話していた

こういう話をしたからと兄と辻褄を合わせることもした

 

ただただ辛かった

 

最後に顔を見ることも叶わなかった

 

それが心に重くのしかかった

 

もう本当に会えないのか

 

いまだに実感はない

 

実感するのは帰省した時なのだろう

 

ここまで書くのにものすごく時間がかかった

 

ふう

 

 

 

 

 

 

なんとか文章にした

なんか書かないとやってられない気分だった

許してほしい

 

ふと昨日の帰りにこの曲が流れてきた

最後は安らかに行けたのかな

 

まだうまく整理できてないけど、なんとか向かい合っていく決心はできた