私と〇〇

書きたいことができたから書く

私と大人になること

30歳を目前にして何もないことに気づいた

この前ふと目に止まったツイートがあった

 

30歳の女性がいい男性の条件を結婚相談所に伝えたところ

この条件の方は普通であれば既婚者で子供を育てているだろうと

 

「普通であれば」

 

そこで私は普通じゃないんだと改めて気付かされた

 

人並みに恋愛はしてきたつもり

最後に彼女がいたのは3年前

継続的にいたわけではない、別れはいつも切り出される方

別れを切り出されるのだから自分に原因があることは自覚している

でも何が悪いのかがよくわからなかった

普通にしているつもり

プレゼント買ったりデートのプラン考えたりしている

楽しいとは言ってもらえる、でもそれ以上でもそれ以下でもないのだろう

そろそろかなと気づく頃には相手の気持ちはない

 

普通ってなんだろうね

休日は友人と出かけたり、何かしらで充実した生活を過ごすのが普通なのだろうか

それを普通と定義するのであれば私は普通ではない

休日は何か予定があるわけでもない

適当に出かけて帰ってくる頃には「これでよかったのだろうか」と後悔ばかりしている

まともに楽しめることがないのだ、どこか冷めている

 

子供の頃からそうだった

何かの中心にいることはあまり無かったとと思う

いつも一歩引いていて、友達何人かと帰る時も後ろの方で友達が話しているのを見ている

そんな感じだったと思う

 

一歩引けることが大人っぽいと言われ

どこか冷めたように意見をいうので嫌われていたと思うし

いつの頃からか人との距離感がわからなくなっていた

この人とは仲がいいのだろうか

この人は友人なのか、知人なのか

親友って何人いるんだろう

この写真の会、自分は呼ばれてないな

 

そんなことが重なっていくとじゃあいないほうがいいよなとかね

呼ばれたらいくけど自分から誘うことは無くなったと思っていた

最近は自分で企画してみることも増やしているけれど

これでいいのかなとか、できているのかなとかね

できることよりできないことに目がいくクソッタレな精神が上をいく

 

幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだね

素敵な歌詞が今の自分に刺さってくる

自分は幸せに向かって歩いていけているのだろうか

ずっとその場で小石蹴って、あらぬ方向に蹴っ飛ばして見失って

その場にうずくまっているガキみたいなことしているんだろう

多分誰かが手を差し伸べてくれているのに振り払って隅っこにいるのだろう

そりゃ誰も近寄ってこない

そんなことを繰り返しているうちに図体だけでかい子供になってしまった

子供のまま大人になってしまったんだろう

 

大人になるってなんだろう

傷つくことなのだろうか、いつまでも殻に籠っている自分にはわからない

傷つきたくないから何もしないのだろう

大人になればわかるって子供の頃に思っていた

でも大人になってからの方がわからないことだらけだ

その答えが出ているのだろうか

いつその答えが出てくるのだろうね

 

彼女が欲しいなら行動をしないといけない

誰かと遊びたいなら自分から誘えばいい

楽しいことをしたいなら、何かに飛び込まないといけない

結局自分から何かアクションを起こさないといけない

断られ続けるならその人を誘わなければいい

新しい人を見つけにいくしかない

 

一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる

 

やはり大人になるための近道なんてないのだろう